2013年8月30日金曜日

Mangaと料理

マッチング,自家組版,出版準備etcで,なかなか英語まで手をつけることができず。
Berlitzのレッスンを,10/6までにあと16回(1回80分)捌かなければ…

昨日今日で4回捌いて,残り12回。来月卒試!→詰めろ状態

ところで,うちの近くのBerlitzには,Manga Libraryがある。僕はほとんど漫画を読むことはないのだけど,つい立ち読みしてしまった。

面白いのが最後のページ!(括弧内は筆者による拙い意訳)

Hey! You're Reading in the Wrong Direction!
This is the end of the graphic novel!
(キミ! 読む向き間違ってるぜ! こっちは最後のページ!)

To properly enjoy this VIZ graphic novel, please turn it around and begin reading from right to left. Unlike English, Japanese is read right to left, so Japanese comics are read in reverse order from the way English comics are typically read.
(このマンガを正しく読むためには:本を逆さにして,右から左へと読み進めましょう。日本では,本を右から左へと読み進めるので,マンガも英語圏とは読む方向が逆になります。)

なかなかイカしてますね。日本文化さすが!


昨日は,調理の方法,料理の紹介について勉強。無駄に料理ボキャをたくさん覚えてしまった。

2013年8月18日日曜日

神は細部に宿る(『マンスフィールド・パーク』―ナボコフによる解説)

nanashi氏から勧められた,『ナボコフの文学講義』(河出書房)を読むために,長い長いオースティン『マンスフィールド・パーク』も読むことになった。
『ナボコフの文学講義』は,どうすれば小説を緻密に読むことができるのか,そして,理想的な読者はどのようなものかを教えてくれる一冊である。ナボコフは,小説とは嘘(虚構)であり,著者による全く新たな価値の創造であると言い切る。いかに手の込んだ嘘であるかが重要であるから,読者は,主観に基づいた低次の想像力ではなく
,没個性的な高次の想像力をもって,著者の描く独創的な世界を容認しなければならない。
文学は,狼がきた,狼がきたと叫びながら,少年が走ってきたが,そのうしろには狼なんかいなかったという,その日に生まれたのである。(p. 61)
これが読者がなしうる最悪のことだが,作品中のある人物と一体になったような気持になること。このような低い想像力は,わたしが読者に使ってもらいたくないものである。(p. 59) 
本を読むとき,なによりも細部に注目して,それを大事にしなくてはならない。(p. 53)

2013年6月27日木曜日

価値中立な「データ」は存在するか?

村上陽一郎著『新しい科学論』(講談社)を読んだので,簡単に紹介したい。本書は,amazonでは絶賛されているが,若干ありきたりなものを感じた。1979年当初では,相当新しかったに違いないが。

著者はまず,常識的な科学へのまなざしを
帰納と演繹のくり返し,経験的観察と論理的導出の円環的なラセン運動によって,ありそうと思われる仮設の確からしさを増大させていく営み(p. 55)
と表現する。その科学観では,データを普遍的な真理として与えられたものと捉え,データの蓄積が法則の進歩へとつながる(より真理に近い)と考える。つまり,常識的な科学は,少ないデータに基づく法則を多いデータに基づく法則が包み込むという,包括的な性格をもっている。

この様子は,認識論的な立場からは,バケツに喩えられる。つまり,穴の空いたバケツが人間であり,穴へと流れこむ水は外界のデータである。さらに,外界のデータを認識する際には,偏見が取り除かればならない。このように,客観的で普遍的な真理を追求する試みとしての科学観は,ボルツマンの言葉「科学者は裸がお好き」にも認められる。

2013年6月2日日曜日

救急車の転院搬送―潜在する倫理的問題

先日救急車の実習で,転院搬送に遭遇したので,どんなものなのか10分くらいで調べたことをまとめておく。

東京消防庁救急業務等に関する条例によれば,
第2条  この規程において「救急業務」とは,次の各号に掲げる業務をいう。
2 屋内において生じた傷病者(前号で規定するものを除く。)で,医療機関等へ緊急に搬送する必要があるもの(現に医療機関にある傷病者で,当該医療機関の医師が医療上の理由により医師の病状管理のもとに緊急に他の医療機関等へ移送する必要があると認めたものを含む。)を医療機関等へ迅速に搬送するための適当な手段がない場合に救急隊によって医療機関等に搬送すること。

第43条 転院搬送する場合は,当該医療機関の医師からの要請で,かつ,搬送先医療機関が確保されている場合に行うものとする。
2 前項の転院搬送を行う場合は,当該医療機関の医師を同乗させるものとする。ただし,医師が同乗による病状管理の必要がないと認め,かつ,搬送途上における相当な措置を講じた場合に限り,医師を同乗させないで搬送することができる。
とある。

2003年中の東京消防庁救急隊の出場件数は663,765件で,48秒に1回の割合で救急車が出場し,都民18人に1人が救急車を利用した計算になるという。このうち,「医師の病状管理のもとに緊急に他の医療機関等に移送する必要があると認めたもの」と定められているが、全搬送人員39,623人(出動件数のおよそ6%)のうち,医師,看護師の同乗がないものが23,909人(約61%)であった[1]。

増大する救急需要への対応や,緊急を要しない軽症患者搬送を抑制するため,2005年4月,東京都は民間救急導入を開始した。東京消防庁HPでは,
緊急性がない場合で,転院搬送(病院間の患者さんの移送),入退院、通院等で交通手段がないときは,東京民間救急コールセンターにお問い合わせください。
東京民間救急コールセンターでは東京消防庁が認定した患者等搬送事業者(民間救急車)やサポートCab(救命講習を修了している運転手が乗務するタクシー)を案内しています。
とある[2]。

このような民間救急車は,東京消防庁の救急車とは異なり,有料である。業者によって差があるが,一時間で一万一千円(運賃五千円,介護料三千円,付添看護師要請料三千円)というケースもあるという。さらに,医師の同乗がないことを理由に、半ば強制的に民間の車を使わせる民間救急コールセンターの試行運用による苦情も相次いだ[3]。

[1] 救急需要対策検討委員会専門部会報告より
[2] http://www.tfd.metro.tokyo.jp/lfe/kyuu-adv/tksei01.html
[3] http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-02-09/15_01.html

2013年5月15日水曜日

解剖学―大変なところを中心に


今になって解剖学を勉強するなんて,いったい何年勉強が遅れてるのかしら。本記事は,M1の試験には全く対応しておりません。ご容赦ください。


■発声

声帯靱帯と声帯筋の上に粘膜が被さってヒダ状になっており,その間の隙間を声門裂と呼ぶ.この隙間を空気が出て行くことによって,「弦」の役割をする声帯ヒダが振動して発声する。高い声を出すためには,弦を強く張るか,弦の長さを短くすればよい。実際に,高い声を出すときには声帯筋を緊張させるし,喉仏が前方に突き出すように成長するので,思春期を過ぎた男性では弦の長さが長くなって声が低くなる。
頸部の解剖
頸部の解剖
発声のためには,喉頭で発せられた音を,口を通して外に出さなければならないので,咽頭は空気と食物の交通を整理しなければならない。それが上手くいかないと,誤嚥が起こる(発声の代償)。

2013年4月26日金曜日

「生命」観(1)

古来より,実に沢山の人が「生命」について思慮を巡らせてきた。今日のところは岩崎秀雄『<生命>とは何だろうか』(最も新しいので奇妙な感じではある)を読んで考えを述べていく。

岩崎先生は,著書で合成的な考えの源流をたどり,歴史を振り返っている。キリスト教的世界観,細胞説,自然発生説の否定というドグマにあって,それへの批判という形で,古くより唯物論者たちは生物の構成的理解を目指してきた。1960年代には,柴谷が生物人造論を打ち出しているものの,生物学の枚挙的な性格ゆえ,合成的アプローチが主流にはならなかったのである。一方,1980年頃から人工生命(AI)が脚光を浴びるようになり,生命らしいと思われる普遍的な振舞いを構成的に表現することが課題になった。分子レベルの知識の蓄積も相俟って,システム生物学・合成生物学へと発展したのである。

2013年4月7日日曜日

アガサの洗練されたセンスに脱帽

アガサ・クリスティの著作で最も人気が高いとも言われる,トミーとタペンスシリーズ『秘密機関』を読んだ。アガサが多くの短編・中長編を残したポワロシリーズは最も有名であるが,実はアガサは最初の数作で彼にあきあきし,出版社にむりやり書かされる形でシリーズを続けていたそうだ。一方このトミーとタペンスはというと,アガサ自身も,この2人が大好きだったに違いないという気がしてくる,幸せ感たっぷりのシリーズである。

2013年3月29日金曜日

自己充足的な若者はこれからどう生きればよいのか?

この頃暇なせいか,自分の人生について考えることがあり,上野千鶴子・古市憲寿著『上野先生,勝手に死なれちゃ困ります』を購入。本書は古市さん(若者代表?)の悩みに上野さん(フェミニスト)が答えるという対談本。古市さんは,僕よりもたった4つ上だけれども,僕よりもよっぽど多くのことを考えているのだなあと尊敬する。

■親子の庇護関係の逆転に対する不安

古市さんの悩みは,結局彼の自己中心性に起因するのだけれど,実は今の若者の大半が抱える共通の悩みであって,だから僕には共感できた。たぶん声には出さずともみんなが同じ悩みを抱えていて,誰かに答えてほしかったに違いない。そういう意味で,この問題をあからさまに文章化した古市さんに,敬意を表したい。
『僕はいったい何が不安なのか,教えていただけますか』(p. 24)
『ああ,(注:親が生きてるあいだに自分が死ぬほうが)ラクですね。親が悲しむのはわかるんですけど』(p. 38)
上野さんは,古市さん(むしろ今の若者)の根源的な不安というのが,親子の庇護関係の逆転に対する不安(一生子供のままで生きていきたい人間が,子供でいられなくなった時の不安)であると分析する。実はその不安は親も持っている。(この共通の悩みの原因は,成り上がりの団塊世代が,子供を教育するという意識をもたず,自分がしてもらえなかったことを子供にはしてあげたいというルサンチマンだけが残った結果,「魚の釣り方を教える」ことがない子育てを犯したからだとして,この問題を理解する。)

2013年3月26日火曜日

意志力を科学する

この本,書店で山積みになっているのだ。ケリー・マクゴニガル著『スタンフォードの自分を変える教室』。ただの自己啓発本と思って手にとってみると,「科学者になりなさい」と書いてある。いったいどういうことか。

著者は,意志力を「やる力」,「やらない力」,「望む力」に分類し,それらが前頭前皮質の働きによることを説明する(それぞれが前頭前皮質の上部左側,上部右側,中央の少し下に対応するんだとか,部位までわかってるのはほんとなの?)。だから,科学的な方法で脳の状態を変化させれば,前頭前皮質の働きを高めて自己コントロールを強化できるという著者の主張は,そこそこ納得できる。

2013年3月20日水曜日

生物学者モノーの思想

モノーって科学者である立場を超えてなんかよくわかんないこと言ってるぞ,という感じで,僕は『偶然と必然』の理解をあきらめていた。そんなときに出たのが,佐藤直樹著『40年後の『偶然と必然』』という本で,少し前にこれを読んだので,考えたこととを記しておく。僕は,フランス語が全くわからないので,この本の丁寧な考察を伝えることができないけれども,自分なりに『偶然と必然』の理解は深まった気がする。

モノーは,オペロン説とアロステリック制御を提唱した生物学者(オペロン説でノーベル賞受賞)である。オペロン説とは,生理的適応(合目的性)をDNA結合タンパクの遺伝子制御(転写のオン・オフの切り替え)によって説明するモデルであった。一方アロステリック制御の概念によれば,シグナル因子は,アロステリック制御を通じて酵素(1つのタンパク)の構造を変えることによって,酵素活性のオン・オフの切り替えを行う(1)。この2つの概念を合わせれば,環境依存的なスイッチを意味する生理的適応を,理論的には,シグナル因子によるDNA結合タンパクのアロステリック制御という要因で説明できたのだ。

2013年3月7日木曜日

ギブソンと認識論

生命の特徴として,環境である外部を生体の内部に「埋め込む」点が挙げられるだろう。それは脳の認知のレベルでなくても,単に細胞の内部状態が細胞外の環境に適応的な状態へと変化するレベルでもよい。
今回はアフォーダンスについて考えてみたい。佐々木正人『アフォーダンス―新しい認知の理論』は,認知理論の転回を,ギブソンの歩みとともに紹介した,極めて明快で平易な入門書である.本論は心理学的実験によって正当性が与えられているが,純粋に論理的帰結として与えられる,「埋め込み」において普遍的な理論かもしれない。