2013年3月29日金曜日

自己充足的な若者はこれからどう生きればよいのか?

この頃暇なせいか,自分の人生について考えることがあり,上野千鶴子・古市憲寿著『上野先生,勝手に死なれちゃ困ります』を購入。本書は古市さん(若者代表?)の悩みに上野さん(フェミニスト)が答えるという対談本。古市さんは,僕よりもたった4つ上だけれども,僕よりもよっぽど多くのことを考えているのだなあと尊敬する。

■親子の庇護関係の逆転に対する不安

古市さんの悩みは,結局彼の自己中心性に起因するのだけれど,実は今の若者の大半が抱える共通の悩みであって,だから僕には共感できた。たぶん声には出さずともみんなが同じ悩みを抱えていて,誰かに答えてほしかったに違いない。そういう意味で,この問題をあからさまに文章化した古市さんに,敬意を表したい。
『僕はいったい何が不安なのか,教えていただけますか』(p. 24)
『ああ,(注:親が生きてるあいだに自分が死ぬほうが)ラクですね。親が悲しむのはわかるんですけど』(p. 38)
上野さんは,古市さん(むしろ今の若者)の根源的な不安というのが,親子の庇護関係の逆転に対する不安(一生子供のままで生きていきたい人間が,子供でいられなくなった時の不安)であると分析する。実はその不安は親も持っている。(この共通の悩みの原因は,成り上がりの団塊世代が,子供を教育するという意識をもたず,自分がしてもらえなかったことを子供にはしてあげたいというルサンチマンだけが残った結果,「魚の釣り方を教える」ことがない子育てを犯したからだとして,この問題を理解する。)

では子供はどうすればいいのか。親の老化によって庇護関係の逆転が突然に起きたら,どうしても子供が自立せざるを得ないのだとはしても,もう少しソフトランディングにすることはできないだろうか。そのためにできることがある。例えば,親の話を聞く,情報を得る(もともとは医療保険の財政破綻に対する財政健全化路線の1つだった介護保険が,実はすごくいいっていう話があって,省略)。息子介護は「金を出すか人手を出すか」のどちらかだが,その選択は実は息子が正規雇用か非正規雇用かで自動的に決まってるという話があった。

次に,親の資産(ストック)を子供はもらえるのか,という問題。基本的に介護保険とか年金だけでは,足りないようにできている。もし非正規雇用の若者が親の介護をして,それが長期化してストックに手をつけざるを得なくなったとすると,最悪のシナリオである(だから親の介護のために仕事を辞めるのは最悪の選択!)。基本的に,親の資産は当てにすべきでない。親は子供の老後を心配してはくれない。
これからは,年金を下支えにして,キャッシュフローを一生涯得られるように人生設計せざるを得ない。その生き方の一つとして上野さんは「百姓(ひゃくせい)ライフ」を提案する。サラリーマンみたいなシングルインカムソースよりも,マルチプルなインカムソースがいいんだと。

■若者と女性に共通する既得権からの排除という構造

雇用や年金の問題は,世代間格差で片付けるのではなく,既得権保全の体質の問題である。年功序列給与体系とか終身雇用制みたいな既得権保全型組織からの排除という点で,女性と若者とでは構造が一致している。若者は限られた既得権益層に食い込むために,苛烈ないす取りゲームをするしかないのだろうか? 否。その答えの一つが,古市さんがやっているように,ベンチャーで(古い保守企業よりも)利益率を上げて市場によって選ばれるというやり方である。

若者には不安はあるが不満はないため,高齢社会の中で自分が将来社会的弱者になるという当事者意識が薄く,コンサマトリーである。成熟型社会にあってコンサマトリーな価値観を持った若者たちが,まったりとソフトランディングなやり方で滅びていくのもいいじゃないか。

しかし,現実を見据えて不安を解消するためには,既得権保全型の社会を変えなくてはならない。そのために必要なのは,既得権益層に食い込めないことに対するルサンチマンではなく,弱者であることを認め要求することである。例えば,当事者意識をもった運動やデモをきっかけにして,介護保険が誕生した。(ノルウェーでは全国民の納税額が全員分公開されているので,納税者意識とか主体意識がある。)ベンチャースピリットも,それ以外の選択肢がないという当事者に生まれるものである。もちろん,ハングリーになる必要がないほとんどの若者たちが,ハングリーな人を羨むのはおかしな話ではあって,コンサマトリーにならざるをえないのではあるが,ちょっとした当事者の不満の気持ちが,何かを変えていく運動や変化の萌芽になる可能性はある。

こうして,衰退していく日本にわずかな希望が残された。
この本,親にも読んでもらおう。

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