著者はまず,常識的な科学へのまなざしを
帰納と演繹のくり返し,経験的観察と論理的導出の円環的なラセン運動によって,ありそうと思われる仮設の確からしさを増大させていく営み(p. 55)と表現する。その科学観では,データを普遍的な真理として与えられたものと捉え,データの蓄積が法則の進歩へとつながる(より真理に近い)と考える。つまり,常識的な科学は,少ないデータに基づく法則を多いデータに基づく法則が包み込むという,包括的な性格をもっている。
この様子は,認識論的な立場からは,バケツに喩えられる。つまり,穴の空いたバケツが人間であり,穴へと流れこむ水は外界のデータである。さらに,外界のデータを認識する際には,偏見が取り除かればならない。このように,客観的で普遍的な真理を追求する試みとしての科学観は,ボルツマンの言葉「科学者は裸がお好き」にも認められる。