2013年8月18日日曜日

神は細部に宿る(『マンスフィールド・パーク』―ナボコフによる解説)

nanashi氏から勧められた,『ナボコフの文学講義』(河出書房)を読むために,長い長いオースティン『マンスフィールド・パーク』も読むことになった。
『ナボコフの文学講義』は,どうすれば小説を緻密に読むことができるのか,そして,理想的な読者はどのようなものかを教えてくれる一冊である。ナボコフは,小説とは嘘(虚構)であり,著者による全く新たな価値の創造であると言い切る。いかに手の込んだ嘘であるかが重要であるから,読者は,主観に基づいた低次の想像力ではなく
,没個性的な高次の想像力をもって,著者の描く独創的な世界を容認しなければならない。
文学は,狼がきた,狼がきたと叫びながら,少年が走ってきたが,そのうしろには狼なんかいなかったという,その日に生まれたのである。(p. 61)
これが読者がなしうる最悪のことだが,作品中のある人物と一体になったような気持になること。このような低い想像力は,わたしが読者に使ってもらいたくないものである。(p. 59) 
本を読むとき,なによりも細部に注目して,それを大事にしなくてはならない。(p. 53)
続く「ジェーン・オースティン」の章では,実際に著者の緻密な読みを披露している。『マンスフィールド・パーク』におけるオースティンの描写に関して,著者は以下の点に注目している。(主なものだけを挙げる。)
  1. 著者がファニーを代弁者とした理由の分析(pp. 68--69)
  2. 4つの性格描写の方法(pp. 74--77)―なんといってもオースティンがうまいのは,さりげなく地の文に込められた皮肉の使い方である。
  3. 物語を進めるために導入された,登場人物の死について(pp. 87--89)
  4. 屋敷の改良の議論における,ファニーの言及する詩について(pp. 97--101)
  5. 鍵がない!というくだりの,芝居的要素(pp. 102--106)
  6. 芝居『恋人たちの誓い』における,虚構と現実との交叉について(pp. 107--124)
  7. トランプ遊び(思惑)における,虚構と現実との交叉について(p. 129)
  8. 屋敷の改良と恋人奪取の構造
  9. 手紙によるスピーディな話の進め方と,その文体(pp. 136, 147, 157)
  10. 興奮しているファニーの心の反応を描写するための,内的独白(p. 153)
  11. オースティンの文体一般(pp. 164--174)
4--8は,重なり合う共通の構造に着目し,その工夫に高い芸術性を見出そうとしている。特に5は,ナボコフの高度な読み・教養を示すものである。一連の登場人物が,改良されたラッシュワースの屋敷(サザトン・コート)を見に来ているシーン。ラッシュワースは,自宅の門扉に鍵がかかっているため,それを取りに行っており不在。マライアはラッシュワースと婚約しているにも拘らず,ヘンリー・クロフォードといちゃいちゃしようとしている。ラッシュワースと婚約したマライアの不安が表れているセリフ:
でも残念なことに,あの鉄柵の門と隠れ垣が,私に束縛と苦難の道を感じさせるわ。あのムクドリが言うように,「私はここから出られないわ」
このムクドリと重なるのは,『感傷旅行』であると分析されている。ヨーリックがある女性に惹かれ,一緒に馬車に乗ろうとする。しかし馬車置場の主人は,鍵が間違っていることに気づき,鍵を取りに行く。このために2人は残されることになり,彼ら2人だけの時間が描かれるプロットは,まさにマライアとヘンリーと重なり合い,2人の恋を予感させるものになっている。

もう一つ圧巻なのは,6の芝居のシーンである。イエイツとかいう金持ちのボンボンは,自分の家で芝居をしようとしていたが,たまたま血縁の人が死んでしまったので,芝居の計画がぶちこわしになってしまった。だから,一緒に芝居しようと,バートラム家に提案する。バートラム家では,ちょうど一家の主である厳格なトマス卿が,家を留守にしており,一家が芝居に興じようと計画するシーン。
この芝居の題名は,『恋人たちの誓い』といって,不倫話が出てくる。いかにも若い小娘たちが演じるのは相応しくない。一家の中では,唯一マトモな主人公のファニーとエドマンドのみが最初に反対する。しかし,エドマンドが密かに恋しているメアリは劇中での恋人役が見つからず,メアリの恋人役を一家の外の者に演じさせようとする。一家の外の人物が呼ばれて,メアリに恋されると思うと,気が気でならず,エドマンドも仕方なく芝居に参加することになる。さらに,途中で芝居に出られない者が出てきて,エドマンドからおりいって頼まれたファニーも仕方なく代役を務めることになる。
無邪気な彼女の登場によって,芝居の魔法は終わり,トマス卿が突然現れる。
トマス卿とイエイツの会話は,まさに舞台を終える切り狂言の役割を果たしており,前々から切り狂言の伏線が張られていたとするナボコフの分析にも納得である。

この芝居『恋人たちの誓い』は配役から何まで,全てバートラム家の事情とピッタリ重なり合い,良く出来たものだなあと読者を感心させる。バートラム一家が芝居を計画するシーンだけでも原文を読んでみたらいいかと思う。


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